2012年2月12日日曜日

レイトショー

昨夜は【ALWAYS三丁目の夕日'64】を観るために、久々に地元の映画館に行った。映画を観に行く場合、普段は圧倒的に仕事帰りに銀座で、というパターンなのだが、どうしてもこっそりと一人で観に行きたい場合は、地元の映画館を利用する。それも普通の時間帯ではダメで、夜のレイトショー目当てである。この【ALWAYS三丁目の夕日】シリーズは、過去2作とも泣いてしまった。そんな姿を他人には見られたくないし、そういう場合は観客が少ないレイトショーが最適なのである。

9時半に地元の映画館に到着。意外に人が多くて驚いたのが第一印象。全部でスクリーンが9つあるから、全部が全部【ALWAYS三丁目の夕日'64】を観にきているわけではないだろうが、あまり人が多いとこちらも目論見が外れてしまう。一瞬次のミッドナイトの時間帯にしようかと思う。

しかし発券機を操作したところ、それほど席が埋まっていない事を確認。そのままチケットを購入した。この発券機もいつの間にか導入されていたのだが、実に便利。観たい映画と時間帯をセレクトすると、座席が表示される。そこでタッチパネルで希望する座席を指定できる。この時、空席状況が確認できるわけである。両隣り空席の真ん中の列の席を選ぶ。

よくよく観察すると、ご夫婦が目につく。料金システムを見ると、「夫婦50割引」というのがあって、夫婦のどちらかが50歳以上だと、二人で2,000円となる。通常料金だと1,800×2だから、かなりのディスカウントだ。明らかにそれを利用していると思われる夫婦が目についたから、面白い狙いが当たっているようである。

映画は予想通りで、私の涙腺は為す術もなく崩壊。冷静に考えてみれば安手のホームドラマなのであるが、映画の世界に入り込んで観るタイプの私としては、冷静でいられるはずもない。その点では、銀座の映画館でなくて良かったと思う。
帰りも車のエンジンをかけてから10分後には家の玄関のドアを開けられるほどの距離だし、やっぱり昔から望んでいた通り、映画館のある街に住んで良かったと実感する。

映画の舞台となっている1964年は私の生まれた年。新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された年だ。何かと話題には出るが、無論生まれたばかりの私にその頃の記憶はない。映画の中で描かれる1964年は、想像するしかできない世界だ。戦後の復興から経済成長へと突き進んでいた時代だし、昨日よりも今日、今日よりも明日と良くなっていった時代だから、世の中に勢いはあったのだろう。努力したものが、努力しただけ手に入る時代というのは確かに幸福だと思う。

映画の中では、幸せとは何かという事が問いかけられる。シリーズを通して訴えられるのは、幸せのあり方だと思う。今よりモノがなくても、今よりも不便でも、映画の登場人物たちは幸せを求め、ささやかな幸せを手にする。その姿が、ノスタルジーと合わさって涙腺を破壊してくれるわけである。

しかし、時間のフィルターは少しずつ悪い記憶をろ過していくという特徴を持つ。三丁目の夕日の世界は、みんな心が豊かだったように思われる。それは確かにその通りだとは思うが、その時代にもダメな部分もたくさんあっただろう。今は大変な時代だと誰もが考えている。しかし今なりにいいところがあって、それは時間のフィルターにかけられれば、良いものだけが濾し残されて、やがて30~40年後くらいには良い時代だったと振り返られるかもしれない。

事実、映画館にしたって、昔は身を縮めて座り前の人の頭を避けてスクリーンを観ていたものだが、今はゆったり座って、前の人を気にせず観る事ができる。発券機でクレジットカードを使って希望の座席を簡単に取って、人の少ない夜遅い時間帯でも映画を観られて、誰もが持っている自家用車で10分で帰って来られるだけでも、昔の映画事情とは雲泥の差だろう。大事なところは、そういうところに幸せを感じられるかどうかなのだろうと思う。

今の時代だって、身の回りの一つ一つの幸せに気がつけば、十分心豊かに暮らせるはずだと思う。そんな事を考えさせられた深夜のレイトショー。これからも映画館のある街の住民として、大いに利用したいと思うのである・・・


【本日の読書】

ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件 (Hitotsubashi Business Review Books) - 楠木 建  麒麟の翼 (講談社文庫) - 東野 圭吾





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