2011年3月16日水曜日

マスコミが国を滅ぼす

まさに国難と言える状況の毎日。
私も普段は1時間の通勤が、電力供給制限の影響による鉄道の混乱により、昨日は3時間、今朝は2時間半かかる有り様である。だが、そんな些細な事は気にもならない。
今は国民が一致団結して何かしないといけないが、私にとってそれはこうした不便をも喜んで受け入れる事ではないかと思うからである。ただ、どうも腹立たしいのはマスコミの報道だ。

普段からマスコミ嫌いの私だが、これでも就職の時はマスコミが第一志望だったのだ。
事件や事故・災害といった現場の最前線で取材するというイメージに憧れを抱いていたものである。
それが現実の姿を目にして失望に変わっていったのだ。
湾岸戦争でバクダッドから多国籍軍による空襲を報じたガッツのあるCNNに比べ、日本のマスコミはさっさと逃げ出した。まあそんな事はどうでもいい。

被災地の上空を飛ぶヘリから、ある学校の校庭に記されたSOSが何度もテレビに映し出された。
しかし、そこにどんな人たちがどのくらい避難しているのかは報じられなかった。
当たり前だ。高いところから見物しているだけで、降りてみないからだ。

もしかしたら、警察や消防などから規制されていたのかもしれない。
しかし、目の前にSOSがあるのに、「あそこに助けてと言っている人がいます」と安全なところから見ているだけなのはどういう心境なのだろう。
降りてどんな人たちがいるのか確認したっていいはずだ。
助けろとは言わないが、「助けを呼んでくるから」と励ますだけでもいいではないか。
降りて行ってそうして励ますシーンを流せば、それだけでもニュースバリューは上がると思う。

東電の計画停電も混乱している。しかしそれは仕方のない事だ。
平常時ならともかく、こうした異常事態で「ハイ第一グループ停電スイッチオフ!」などと言うわけにも行くまい。なるべく回避できないか、どうするのが最適か、混乱の中でやっているのだ。
それを「無計画停電」などとよくも言えたものだ。なぜ、「現場は混乱しているので、いつ停電になってもいいように準備しましょう」と言えないのだ。

東京電力のHPはアクセスが集中して一時開けなかった。
国民に伝えるのはマスコミの仕事だ。
東京電力から情報をもらってかわりに各社で流してあげればいいではないか。
なぜそうした助け合おうという行動に出ないのだろう。

原発についても政府の情報開示の遅さを非難するが、あやふやな情報を矢継ぎ早に出せば良いと言うものではない。それに現場は報告よりも先にやらなければならない事もある。
放射能だって「通常の何十倍」などと言われれば素人は青ざめる。
何十倍といったって、レントゲン1回で浴びる量の1/50程度なのに、だ。
いたずらに危機や不安を煽ってどうするのだ。

今朝のCNNの英語版トップページでは、真っ先に「Heroes battle to keep Japan」と出ていた。原発の現場で必死に作業する作業員を讃えている記事だった。
ヒーローを称賛するお国柄とは言え、目を向けるところがまるで違う。
一致団結して国難に対処すべき時に、自分たちはまさにヘリの上から優雅に見物し、安全なところから批判だけしているのである。

ツイッター上では「prayforjapan」のハッシュタグをツイートすると、応援メッセージが溢れんばかりだ。まさに今我々が持つべき気持ちがそこにはある。
第4の権力と言われるマスコミであるが、その正体は批判はしても批判はされない独裁権力だ。
自分たちこそが崇高な存在だと思いこんでいる。

原発から200キロも離れた安全な首都にいるのだ。
世界中が日本人の行動に注目しているのだ。
買占めなどに走るのではなく、他人を批判する前にサポートする事を考えればこんな国難は難なく克服できる。それを先頭に立って呼びかけるのがマスコミのあるべき姿だ。
そんなマスコミのあり方を見たら、20数年前に初志撤回して金融業界へ進んだ我が身を、今頃は死ぬほど後悔していただろう。

批判をしていても仕方ない。
そんな腹立たしい気持ちを抑え、原発で作業に当たる人たちに心でエールを送り、明日も通勤に何時間かかろうと、この首都東京で日本経済を担う一翼としての職務を全うしたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「大前健一の資本主義の論点」大前健一他
「ロスト・シンボル(上)」ダン・ブラウン




    


     

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