2009年8月22日土曜日

高校野球について思うこと

 夏の甲子園大会も佳境に入ってきた。
「野球は第2のスポーツ」と常々思っているが(第1はラグビーである)、プロ野球は観るものの、高校野球はあまり観ない。技術力という点でプロよりも見劣りするのは致し方ないとは言え、やっぱり限られた時間で観るとしたらプロとなるのである。

 小学校から中学卒業まで町内野球に親しんだ私は、高校入学の時に当然の事ながら野球をやるという事が頭にあった。それまでは軟式だったから、本格的に硬式で野球をやりたいという気持ちがあり、「野球部」はなんといっても入部希望の筆頭であった。だが、どうしても一つだけ踏ん切りがつかない事があった。
それは「坊主頭」である。

 高校野球といえば「坊主頭」。誰もそういうものだと思って疑問の声を聞くこともない。「日の丸」や「君が代」にいちゃもんをつける日教組も、旧日本軍さながらの全員坊主頭の野球部には文句はないらしい。だが、私にはどうしてもそれが馴染めなかったのだ。野球部のクラブ紹介でも「入部したら当然坊主」と説明があった。いろいろ迷ったが、どうしてもその違和感に馴染めずに入部を諦めたのだった。

 別に坊主にする事が恥ずかしくて嫌だったわけではない。それが証拠に、後に大学に入った後(一晩だけであるが)、モヒカン刈りにした事がある。次の日にすぐ丸坊主にしたが、普通の人はなかなかやれないだろうと密かに自負している。だからもしも坊主にしなければならないのだったら、引退してからにしようかと思ったくらいだ。だがそんな考えが通じるはずもなかったので、一人身を引いたのだ。

 嫌だったのは坊主頭そのものよりも、そういう「考え方」だ。疑問に思うことも許されず、一律坊主にすることによって個性を奪われる。あとは歯車としてチームのためにプレーするだけだ。「考える事は許されない無個性の世界」、そんなイメージがしたのだ。

 例えばよく教えられた話がある。ある時、監督からバントのサインが出されていたが、その選手は無視してホームランを打ってしまった。その選手はベンチに帰って来ても褒められるどころか怒られた、というものである。結果よりも監督の指示に従うという事が重視されるのだ。当時はそれを当然だと思っていたし、みんな目を輝かせて頷いていた。

 でもそもそもホームランとバント、どっちが「チームにとって良い」のだろうか。それは考えるまでもない。だとすると「チームのため」を考えたら、監督の指示は間違っていた事になる。大事なのは「チームのため」なのか「監督の指示」なのか?答えられるだろうか?

 ちなみに私が監督だったら、選手たちにはこう指導する。
「監督の指示は絶対だ、でも自信があったら破ってもいい、結果が出れば認める、そのかわり失敗したら3倍罰を与える」と。
そうして選手たちに考えさせてプレーさせるのだ。そんな中で、もしも監督のサインに従わない選手がいたとしたら、(失敗すれば当然3倍ペナルティだ)そういう「気概」をもった選手には目をかけるだろう。「無難に」指示に従うだけの選手よりも大成すると思うのだ。

 「チームプレーは個人プレーの蓄積」である。チームの歯車になるだけではだめなのだ。個性重視と言いながら、「不祥事があれば即出場辞退」という高野連の体質といい、没個性的な世界を感じてしまうのだ。

 結局、そう感じたのは私が「へそまがり」だったからに他ならない。そんな「へそまがり」がいいのか悪いのか。でもだからラグビーという新しい世界に向ったのだし、それが大正解だったわけだから判断は難しい。それでも野球は面白いし、楽しいスポーツである事には変わりない。長男にはまず野球をやらせたいと思う。

 何といっても高校野球はプロへの登竜門。将来のプロ野球の発展のためにも、高校野球も引き続き夏の風物詩としてあり続けてもらいたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「交渉術」佐藤優

     

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